Do You See Jesus in Your Clouds?
Behold, He is coming with clouds . . .
?Revelation 1:7
聖書では、雲はいつも神様と関連して出てきます。
悲しみとか、苦しみをもたらすように思えますが、この雲を通して、信仰によって歩むということを教えてくださいます。
チャンバーズは、「神様は、良いお天気の日になんて来ない」とまでいいます。
しかし、試練を通して教えられると考えるのは、ちと甘い?わたしたちがそれを通して何か学ぶというより、
信仰がどんどんどんどん単純になって、幼子のようになり、神様と私の魂だけになって・・、他の人たちは影にすぎなくなる・・そうなるまで、雲と闇は離れないとあるんですもん。
単純になってる?る?
ぎ・・・ぎくっ・・・。
今日の「みことばの光(聖書同盟)」は、1サム11章、サウルの危機からだった。
困難に直面させられるとき、試される信仰を考えようとある。
面白いのは、昨日のチェンバーズのテキストとの兼ね合いなの!
終着点にたどり着くまでのプロセスを大事になさる神様に、なによりも「今、より頼む」ということ。
わたしたちが、訓練と呼ぶものと、神の訓練は違うということ。
神の訓練は、今、この時のためで、決して「やがてくる時」のためではないということ。(メモ:それは「動機というものを大事になさる神」とも何か通じるのかな)
パラドックスっぽいっていうか、マルチということなのでしょう。
こういうことって、「イエス様が弟子達にしかお話しにならなかったこと」だと思いました。イエス様サイドにいる者にしかわからない真理なのではないでしょうか。
聞こうとしなければ、叩きつづけなければわからないこと。
いつもながら、表現力不足で、何を言いたいのかわからなくて(ですよね?)すみません。
わかったふりして、煙に巻こうと思ってるわけぢゃないのよー。あー、そうなのかな?
ところで、サウル・・って、ベニヤミンからでてるんだよね。パウロもそうだよね。だから、サウロだったんだけどさ。なんだか、妙にうなってしまった。
うー。
過去ログの、 My Utmost for His Highest へのリンクURLが全部、変わってしまって飛ばなくなっています。膨大なので、なおすのが・・・あー!ごめんです。ゆるしてくださいです。
湖浜 馨・訳「いと高き方のもとへ」という邦題で、いのちのことば社より出版されています。